杞憂

中国の故事に「杞憂」の語源となった「空が落ちてくる」と心配する男性の話があります。

もちろん悪い意味で使われるこの「杞憂」という言葉ですが、ここで慌て者として扱われる「杞の国」の男性の心配って、そんなに悪いことなのかなと思う自分がいます。


 企画という仕事に関わっていると、様々な新規事業に取り組むことがありますが、その会議等で担当の方のコメントが気になる時があります。例えば以下のようなものです。

この取り組みが成功すると、会員が ○万人増える想定で、それにより売上が  ○億円期待できます

といった発表です。

比較的若い方からの発表が多いので、自信満々でこの数字を出している姿をみると、微笑ましい感じもありつつも、心配になります。

認識のズレの原因

ここで発生している認識のズレの原因はすごくシンプルな話で、「実施→○万人増加→売上○億円」というシミュレーションを、

  • 担当者の方はこの数値を「成果予測」として発表していて
  • 私は、この取り込みにおける「目標数値」に過ぎないと認識しているからです。

そもそもこのシミュレーションが成り立っていなかったら実行されないわけで、このデータは単なる前提に過ぎません。

私が議論したいのは、「この取り組みが成功しなかったらどうするの?」という質問であり、「予測よりも売上が立たなかったらどうするの?」という質問です。

成功のために「失敗を前提」とする

これら質問は、常に(この方にとって自信満々の)取り組みが失敗することを前提としています。

私は常々思っているのですが、企画やマーケティングに従事する人間って、取り組みが「成功した時」のことは何一つ考える必要なくて、常に「失敗した時」を想定して準備をする、対策をするっていうのが大事なのではないでしょうか。

でも皆さん、成功のことばかり話をするんですよね。

スポーツであれ何であれ「この作戦が成功する!」って思ったら思考停止しますが、「この作戦は対策とられて失敗するかも。。」かもと思ったら、準備することはたくさんでてくるわけです。

繰り返しになりますが、理想とする状態を 「成功」とするならば、「成功した」場合は考える必要がなく、必要なのは「失敗」のベクトルに物事が進み始めた時に、物事を上向きにする解決策です。

例えば「新型コロナウイルスに感染しなかったら」を想定する必要はあまりなくて、必要なのは「新型コロナウイルスに感染したらどうするか。」という問いであり、その問いに対する解決策の検討です。

私たちは、常に「成功を実現するために、失敗の状態を考え続ける」必要があります。


「もし本当に空が落ちてきた」場合、常日頃考えていた中国の方は、国で一番の専門家として評価されたかもしれません。(程度に問題はありますが)その危険性を想定しておくことに何ら問題はありません。

でも惜しむらくは「空が落ちてくる」という問題の状況に思い悩むだけで終わってしまっていることです。

もし「その時にどうするべきか」という解決策を考える方向に意識が進むならば「言葉の意味も変わったかもな。。」と、はるか遠い未来の異国の人間に惜しまれることになるのです。

 

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