3人のレストラン関係者

  「3匹の子豚」みたいな話です。  

 仮に「 売上があがらないお店の関係者に、どうやったら売上があがるのか」と質問をしてみるとします。

ある心優しい店舗スタッフは真剣な表情で「笑顔での接客を頑張ります!」って答えるかもしれません。「頑張って、追加のメニューをお薦めします!」っていうかもしれませんね。  

次に、優秀な店長に聞いたらどうでしょうか。「メニューに飽きられてるかもしれないので、新規メニューを投入します。」って言うかもしれませんね。「地域メディアに広告を出稿します。」っていうかもしれません。

最後にお店のオーナーに聞いたらどうでしょうか。「このお店を畳んで、別業態を検討する。」っていうかもしれません。

多種多様な正解

この例え話で「スタッフの意見は改善の幅が小さく、オーナの決定が大事」ということをいいたいわけではありません。(またそれは別の機会に)

(この架空の話の中で)スタッフも、店長も、オーナーもしっかりと考えて、まともな回答をしています。

大事なことは全てが「正しい意見」ということです。 その人なりのポジションや裁量の中で、正しい意見を言っているということです。

私たちは「正解を見つけること」が出来ますが、私たちは様々な「前提」や「枠組み」の影響で、意識的・無意識的に「思考」が制限されています

結果として、それぞれがそれぞれの正しい答えを持つことになります。

学校は休みにするべきか、否か

新型コロナウイルスの騒動で、多くの意見がでています。


「学校を休みにしたほうがいい。」であったり、逆に「学校を休みにしないほうがいい」であったり。

「都市を封鎖するべきだ」であったり、逆に「都市は封鎖してはいけない。」であったり。

大規模な検査をしたほうがいい」「必要最小限で良い」とか。

これらのケースは前述のように、ある人にとっては「A」が正しくて、ある人にとっては「not A」が正しいというケースが当然のように存在します。

子供を預けることができず、仕事を休まないといけない方にとっては「学校は通常どおり開催」のほうがいいでしょうし、子供を学校にいかせることが心配な方にとっては「学校がお休み」のほうがいいでしょう。

私たちは「その人よって正解は異なる」ということを認識するべきです。

ゴールが未設定の状態では、多様な正解が存在

このように「人それぞれの正解が存在している状況」というのは、一般のビジネスにおいても頻繁に発生します。

この原因は単純な話で「共通のゴールが設定されていない」ことに起因します

私たちは「ゴールが共通」であって、初めて方法論の議論が可能になります。

友達同士で食事のお店を決める場合、美味しいワインが飲みたいという人と、寿司食べたいっていう人がいたら、正解は別々になります。(いやワインに合わせることが上手なお寿司屋さんがいたらいけるな。。)

この時、両者が「共通のゴール」が設定できると、選択肢・方法論の議論が開始できます。

例えば「ゆっくり話ができるところ」というゴールが設定できれば議論が可能ですし、例えば「アルコール抜きで楽しめるところ」だったらまた議論が可能です。

個人のプロジェクトであっても、何かを生み出すとき、何かを実施するときに、議論は不可欠です。

その際に「人により正解は様々である」ということと、その解決のためには「共通のゴールを設定する必要がある」という理解はとても重要なことだと思います。

この危機的状況におけるゴール設定

新型コロナウイルスが猛威を振るいはじめた現状であっても、世の中の議論がうまく議論が噛み合っていないとするならば、それはまだ「日本としてのゴール」を設定できていないからかもしれません。

「日本としてのゴール設定」をしなければ、議論は常に空中戦になってしまいます。

(例えば、何よりも感染者数を押さえ込むことを優先とか。例えば、何よりも経済を消耗させないことが優先とか。)

正しいゴール設定を行って、みんなでこの危機を乗り越えることができることを期待しています。

 

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