改めて「企画」というもの
改めて「企画」とは
では、改めて、「企画」というものはどういうものなのか。
端的に言えば、
『「企画」とは「課題」を解決するもの』
ということになりますし、「良い」企画ということであれば、
『「より良く」「課題」を解決するもの』ということになります。
つまり、「企画」の良し悪しは、「課題」を解決した「程度」によって規定されることになります。
本来ならば、もうちょっといい例えがあるといいなという気がしないでもないのですが、再び「病気」で例えさせてもらうと、
- 胃が痛いという状況が、「現状」
- 胃潰瘍が、「課題」
- 胃潰瘍の薬が、「企画」
と、当てはめてみると比較的理解がしやすいかもしれません。
「課題」なき「企画」は、「企画」ではない。
仮に、ここにノーベル賞級に素晴らしい、頭痛に効くクスリがあっとします。もう飲めば、それだけで頭痛が治る。仮の話なのでもちろん副作用は一切ありません。全世界が待ち望んでいる薬です。素晴らしい。
上の図式に当てはめてみると、そのような魔法のような素晴らしい「頭痛薬」があったとしても、患者が胃潰瘍だった場合、その頭痛薬は「課題」を解決していない以上、よい薬ではないということなります。
ノーベル賞級に素晴らしい薬なのに、よい薬ではないんです。(胃潰瘍的には)
この話を聞くと、「胃潰瘍に頭痛薬が効くわけないじゃん。バカじゃないの?」って思うと思います。(少なくとも私はそう思います。)でも、こういう例って、すごくあります。
「胃潰瘍」という「課題」を無視して、その「ノーベル賞級に素晴らしい」ということで「企画」が決定されるっていうのは、ものすごく多いです。
「ディープラーニングを用いた複雑なレコメンデーション」とか「シェアリングエコノミーの考えを取り入れた●●」とか、「課題」を無視して、「企画」ありきのサービス作りは、よくよく行われます。
「企画」思考は、川上(課題)から川下(企画)へ
「課題」があって、「企画」は初めて存在します。「企画」があって、「課題」が存在することはありません。
ゴッサムシティには、ジョーカーがいるから、バットマンがいるのであって、バットマンがいるから、ジョーカーがいるわけではありません。(この例えは、微妙だな。バットマンがいるから、ジョーカーがいる気もする)
でも、いざアイデアを考える時に、
- バズワード
- 事業のアライアンス
- 競合サービスが取り入れた新機能
そういったものに影響された「企画」(川下の存在)から、物事を考えてしまうことがあります。一般的に考えると、それは最適なものではなく、単に機能を実装して終わりになってしまいます。
「企画」を考える時は、一つ前の「課題」を考える。「企画」を考える人であれば、それは習慣付けしたほうが良い行動だと思います。
- 1(ここで語られる)「企画」はどのようなものなのか。
- 2企画に関する誤解
-
3改めて「企画」というもの
- 4企画に関する登場人物整理
- 5課題とはなんなのか
- 6「課題」発見の手順
- 7「課題」発見における、「目的」の重要性
- 8コンセプトの簡単な見つけ方
- 9企画を説明するプロセス
- 10企画における「目標」と、「ユーザー体験」
- 11「あったほうがいいかも。」という呪い
- 12「アイデア」の選びかた
- 13データが現す「過去」と、企画が考える「未来」
- 14「白」か「黒」、あるいはその「中間」という選択
- 15世界は単純なのか、複雑なのか。
- 16[概論] 論理的思考ってどうやるんですか?
- 17私たちは解決方法を見つけてしまう
- 18アイデアの価値
- 19神は細部に宿るのか。
- 20「抽象化」を考える
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