アイデアの価値
「Facebookと同じサービスを考えていた」
人気のサービスや新しいサービスに対して「同じアイデアを私も考えていた」という方がいます。たぶんそこには嘘は無くて、実際にそういうサービスを想像したことがあるんでしょう。惜しいことしました。。
多く場合、そういう方に対しては、「アイデアを考えるだけというものに価値はない」という厳しい意見が飛んでくることになります。「アイデアは実行することが大事」というごもっともな意見ですし、私もそのように思います。
実行が大事
改めて考えてみると「アイデアに価値がなく実行こそが大事」という件に関しては、「2つの要素」が存在しています。
具体的には
- 「アイデア自体に価値がない」ということと、
- 「アイデアは実行が大事である。」ということですね。
私は基本的に両方「正しい」と思っていて、アイデアというか「思いつきには基本的には価値がほとんどない」ですし、そこから「実行すること」が価値があるというのも正しいです。
後者の「アイデアは実行が大事である」という件に関しては、「ダイエット」で考えてみたら分かりやすいかもしれません。「ダイエットしようと考えていた」だけでは意味が無く、その方が「ダイエットに取り組んだ・健康的になった」というタイミングで初めて価値がでてきます。実行大事です。
改めて、なぜアイデアに価値はないのか。
一方で、「アイデア自体に価値がない」というのはなぜでしょうか。なぜ「時価総額50兆円を超える、Facebookと同じアイデアになぜ価値がない」のでしょうか。
もちろん実行難易度が高いというのもありますが、多くの場合「アイデアというものが、ゴールに向かう途中に選択された、単なる方法論に過ぎない」ということではないでしょうか。
例えば、Uberと同じアイデアを考える人がいたとします。 でも、偶然同じ形をとっただけで、実現したいことは全く違うかも知れません。
- Aさんは「 いつでもタクシーを呼べる」という利便性を考えたかもしれません。
- Bさんは「料金が確定されていて決済」といった決済を軸に考えていたかもしれません。
- Cさんは「個人の余剰時間の活用」というシェアリングエコノミーを起点にしていたかもしれません
ここで言えることは、「Uber」と似たようなアイデアに帰着するためには、様々な起点があるっていうことなんです。
そのアイデアの起点、「実現したいビジョン・コンセプト」こそが大事であり、「結果としてUberに似たサービスを想定していた」というのは、言われてるように価値がありません。
「「実行しないアイデア」は価値がない」とも言えますし、「似たようなサービスを想定していた」というのもそれほど意味がないということです。
中間地点が同じでも、異なるゴール
例えば、ある旅行者が羽田空港で出会ったからといって、同じ旅行先にいくとは限りません。同じように「ある時点で選択されたアイデア」が同じでも、ゴールは全く異なります。
最初に戻りますが、ある時点のアイデアが似ていたかといって、同じものかどうかは評価ができません。
デザインや機能や表層の類似性ではなく、「実現したいビジョン・コンセプト」の類似性が問われるべきであり、実際のところそれはなかなか表にでてくるものではありません。(似ているかの答え合わせも本当はできない類いのものです。)
その意味で、例え少し似たようなアイデアを思いついていたからって同じとは限らず、実際のところ、その人が思うほどに「アイデアの価値は無い」ように思うのです。
だからといって「Facebookと同じサービスを考えていた」という人がいたとしても別に否定する必要はありません。
その代わりに、「その人のFacebook」がどのように変化を遂げていったのかといった、存在しなかった未来を想像してみてもいいかもしれませんね。
- 1(ここで語られる)「企画」はどのようなものなのか。
- 2企画に関する誤解
- 3改めて「企画」というもの
- 4企画に関する登場人物整理
- 5課題とはなんなのか
- 6「課題」発見の手順
- 7「課題」発見における、「目的」の重要性
- 8コンセプトの簡単な見つけ方
- 9企画を説明するプロセス
- 10企画における「目標」と、「ユーザー体験」
- 11「あったほうがいいかも。」という呪い
- 12「アイデア」の選びかた
- 13データが現す「過去」と、企画が考える「未来」
- 14「白」か「黒」、あるいはその「中間」という選択
- 15世界は単純なのか、複雑なのか。
- 16[概論] 論理的思考ってどうやるんですか?
- 17私たちは解決方法を見つけてしまう
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18アイデアの価値
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